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理学療法の評価と治療

理学療法に関連する臨床・研究・教育と評価・治療について書いていきたいと思います。

我慢すること 

我慢というのはしたほうが良いのかは別として
我慢できるかできないかは何が違うのであろうか。
ストレスの耐性というのは個人差がある。
同じ出来事であってもある人には大きなストレスとなるが
ある人にはたいしたストレスにならないことがある。
これはストレスのかかる対象そのものが原因ではなく、
それを受け止める認知の状態が
大きく影響することを表しているのではなかろうか。

ストレスは自分に対してがあると認識した際に
アドレナリン系が作動し戦う逃げるかの衝動が生じる。
これは相手の行為が攻撃と認知したために生じるものである。
そのため自分は常に正しいと思っている場合(誤帰属)や
相手に対して常に不信感を抱く人は
常にストレスを受けやすい状態だと考えられる。

そのためストレスをいかに発散するかに
意識が向きがちになるため欲求を満たすことで
それらのバランスをとろうとする。
そしてそれらの習慣が依存症として知らず知らずのうちに
生活に根付いて心身を蝕んでしまう。

よって我慢できるかできないかというストレスの耐性は
ストレスに強いという短絡的なものではなく、
自分は常に正しい問い思っている場合(誤帰属)や
相手に対して常に不信感を抱くという
考え方の癖が原因かもしれない。

まず自分は常に正しいと思っている場合。
これは自分の価値観は自分の知っている範囲に過ぎない
ということを自覚する必要がある。
自分の親の影響が大きいがその価値観は絶対的なものではない。
正義の反対は悪ではなくもう一つの正義なのである。
戦争や多くの争いもそれと変わらない理由で起こる。

政治の世界でも肯定派と否定派に分かれるのは
よく目にするのではなかろうか。
これもどちらが善でどちらが悪という訳ではなく
単に「政治」の中での意見の食い違いである。
全くの正反対ではなく政治という枠の中での食い違いである。
料理で言えば「味」の食い違いと考えればわかりやすいのではなかろうか。
辛いのと甘いのどちらが正しいのか。といったようなものである。
どっちも捨てられないものであるし、個人によって違えば
臨機応変に必要なときもある。

これらのことから自分考えが正しいという気持ちは大切なことだが
その考えに執着する必要はない。
自分にない価値観を持った意見を知ることで
より広い器を持つことができるのではなかろうか。

次に相手に対して不信感を持つ場合
これは幼少期や学童期のトラウマが関わることが多い。
裏切られたり嫌われたりそういったものを
目にしたり耳にすることで
人を信じられなくなることが原因となることが多いとされる。

どうせまた裏切られるのだから
傷つかないようにはじめから信じなければいい。
というのが思考パターンとして多い。
しかしこの思考は自分がこれ以上傷つきたくない。
信じていた自分を否定する。
といった心理が背景にあり、
逆に言うともっと傷つかないような人間関係をおくりたい。
本当はもっと人を信じたいといった心理が隠れているのかもしれない。

人は皆思った以上に弱い。
だから自分を守るために必死になっている。
自分と同じような感情の相手が
必死に自分を守ろうとしたために
傷つくはめになったのかもしれない。

悪意を持った人も中に入る。
しかし自分を守ろうとするが故に
相手を傷つけてしまう場合の方が圧倒的に多いと感じる。
不信感をもっている気持ちそのものが相手に伝わり
より相手も反応的な態度になっている可能性も否定できない。

自分を傷つけようと思っている人はいない。
構えず力を抜いてしまえば相手も構えず力を抜く。
礼儀は必要だが遠慮は必要ない。
相手の嫌がることをしなければ自分をさらけ出す方が
人との距離は縮まるものである。
どうせ裏切られるという不信感があるから、
礼儀までなくして相手に攻撃される状態を
自分で作ってしまうのである。

ここらの距離感が楽しくやっていくか、
気を使ってやっていくかのさじ加減になるのではなかろうか。
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Category: 哲学・思想

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